今はまだ旅の途中

郵便局めぐり、道の駅めぐり、乗り鉄、資格取得、気のおもむくままに挑戦しています。運動はニガテです。

東日本大震災から11年

筆者は山形県の出身です。

東日本大震災当時、ホームセンターで働いていました。春に向けた売場作りの最中で、除草剤を陳列していた時に地震が起きました。あまりにも揺れが収まらずこれはただごとではないと思い、お客さまを店外に避難。その日は3月にも関わらず雪が結構降って、お客さまの数も数名しかいなかったと記憶しています。

外から店舗を見たときに、建物の柱や看板が揺れ動く姿がハッキリありました。自宅はきっとダメだろう。そう思いました。その後どうしたかは時系列では覚えていなかったのですが、

  • 相当時間が経ってから本社と電話がつながり、そこで県内の他の店舗とは電話がつながらないことを知る(広域で停電しているのではないか?)。
  • 休みだった店長とも電話連絡。店舗に被害はない報告と、大きな津波が東北太平洋沿岸に到達した、そんなことを言われた覚えがあります。
  • 従業員に家族に連絡するように指示し、筆者も自宅と電話が繋がり、自宅には被害が無いことを知る。ここで一安心し、仕事に集中。

大災害後ということで特需が予想されたので、カセットベンベや電池・懐中電灯など、非常時に問い合わせが多そうな物をレジ前にかき集めました。

しかし、お客さまは全く来ないのです。おそらくあまりの出来事にテレビにくぎ付けで買い物に出るまで頭が回らなかったのだと思います。

仕事中はテレビを見れる環境には無いので、事の重大さは後から知りました。電気などのライフラインが多くの地域でストップする中、我が町は奇跡的に難を逃れていました。

その翌日以降でしょうか、被災地に向けたボランティアなどの動きも相まって本当に忙しい日々が続き、ありとあらゆるものが売れました。日常生活においても、ガソリンスタンドで渋滞が発生したり、給油制限が設けられたりしました。本社の人たちも従業員用にガソリンを運んで来てくれたり、皆が必死でした。

あれから11年ー。

新潟県に引っ越して、生活の基盤はこちらに移っています。新潟県中越地震中越沖地震など大きな地震が度々発生する地域であります。東日本大震災で経験したことを忘れないために、今日この記事を綴りました。

今日は青空です。待ち行く人は至って普通です。車も普通に走っています。ガソリンは昨今の情勢で165円と高めですが、普通に買えます。

当たり前の生活を、当たり前のように送れることに、今日改めて感謝します。